「えっ、フライをやるんですか? 私もテンカラやルアーにハマってるんです。今度、是非ご一緒しましょうよ」──。仕事で初めてお会いしたにも関わらず、“同志”と判明してからは、まるで旧知の仲のように打ち解けて話が弾み出したのでありました。
ことの発端はといえば、ビジネス上の互恵関係を探る打ち合わせの席上、アイスブレークとして、とある山懐でツキノワグマに遭遇して肝を冷やした一件を明かしたことにありました。「なんでまた、そんな場所に行ってたんですか?」「実は渓流釣りが好きで、その時はフライフィッシングという毛鉤釣りの一種の…」と言葉を継ごうとしたら、冒頭のような切り返しがあったのです。
「今度、是非ご一緒しましょうよ」というくだりは、飲みやゴルフなど互いの共通項が見えた時に社交辞令として交わされる常套句だったりするものですが、この時ばかりは本気モード。渓魚を愛でる者同士、近況を語ったり今季も残り少ないことを嘆いたりしながら、近々で釣行できる可能性を具体的に探り始めました。
私はといえば、ジーザスとヒレピン子が友人を誘って日川に一泊で釣りに出かけるとの話を聞いていたところ。あいにく日曜は用事があって泊まりは難しいんだよなあ…。そうだ、タイミングよく知り合った彼を誘って、日帰りで参加するって手もあるか。早速、各方面に調整を図り、9月9日(土)に実現の運びとなったのでありました。
それにしても、火曜:初対面で意気投合 → 木曜:仕事にかこつけてイベント会場で再会し詳細を打ち合わせ → 土曜:釣行の実現、というトントン拍子の展開。ここでは「I氏」と伏せておきますが、彼の釣りにかける情熱も並々ならぬものがあります。いつもは秩父漁協の年券で入川あたりを攻めているんだとか。来季はホームリバーを案内してもらおうっと。
で当日。6時に拙宅までやってきたI氏に我が家のクルマに乗り換えてもらって、あらためて日川へGO!酷い渋滞に巻き込まれることもなく順調に進み、とりあえずの集合場所としていた民宿に8時半に到着となりました。やや遅れてやってきたジーザスはじめ3人と落ち合い、手短に顔合わせをした上で、いざ川へ繰り出します。
午前の部は、クルマをデポした民宿からやや下ってからの釣り上がり。I氏はルアーとテンカラとで迷った挙句、前者のロッドを手にしました。「フライとルアーでは攻め方が違うから、まずは2人で同じエリアに入ってみましょう。ポイントを荒らさないためにも、ルアーの僕が後から続きますよ」と彼。申し訳ないと思いつつも、ガイドも兼ねて先行させてもらうことにしました。日川は3月に来て以来、すっかりご無沙汰しており今季は2度め。さて、どんな一日になるでしょう。
2人して意気揚々と入渓したまでは良かったものの…いざ流れに立ってみると思ってもいない状況に直面しました。ぱっと見た渓相は良いのですが、全体が浅いというか、どこも底に砂が堆積してしまっているのです。嵯峨塩館のさらに上流の方で大規模な堰堤工事をやっており、どうやら、そこから大量の土砂が流れ出しているようです。水も濁り気味。これじゃ、アマゴやイワナにとって居心地よいとは言えないなぁ。魚影は薄いかも⁈
しまった〜。人を誘う以上、もう少し事前サーベイしておくべきでした。美渓の水郷と美形のアマゴという記憶が刷り込まれていて、近況に疎かった…。「しょうがないですよ。とりあえずは竿を出してみましょう」という言葉に甘えて、そのまま釣り上がることにしたのですが…嫌な予感は的中して反応は芳しくありません。結局のところ、3時間弱で彼がチビイワナ1匹、私がチビアマゴ1匹という苦々しい結果となりました。ま、最悪のオデコということは免れたけれど…。
川沿いのお蕎麦屋さんで5人集合してのランチ。エサ釣りで臨んだ3人もアタリが遠く苦戦した模様です。午後は大きく移動するしかなく、下流に向かうべきか、それとも上流に向かうべきか。いつも中流域でそこそこの釣果に恵まれていただけに、リカバリープランを検討するにも判断材料がありません。強いて言うなら、上流を詰めるほど、他の釣り人のクルマが目立つという話を聞いているぐらいでしょうか。
迷っても答えは出ないので、我々2人は下流に賭けてみることにしました。景徳院の駐車場にクルマを停めて、わずかな踏み跡を頼りに川を目指します。背丈以上の葦をかき分け、蜘蛛の巣を払いながら強引に進むも、なかなか埒が明きません。すぐ近くにいるはずなのに、互いの姿がまったく見えないほどの荒れた河原を行った先、やっと流れにたどり着くことができました。
葦に覆われながらも、何とか釣りが成立しそうな流れが見受けられたので、ここでもしばし、フライ先行、ルアー後続というスタイルで進んでみることに。入渓時に枝などに引っ掛けてグチャグチャになったティペットを交換し、新しいフライに結び替えて川に踏み出した矢先、足元から魚が走るのが見えました。お、いるにはいるんだな…。
ちょっと行くと怪しげなポイントがありました。小さな落ち込みから、10メートルほどのストレートな流れが続いています。頭の中で3つに区切って下から順にフライを流してみるも無反応。最後に、落ち込み直下の白泡の脇にフライを落とした刹那、ついに水面が割れました。小気味よい引きを楽しませてくれたのは体高のある24センチのアマゴ。待望の一匹です。
ほっと一息つき、そこからI氏に先行してもらったのも束の間、すぐに3段の大型堰堤に進路を塞がれてしまいました。堰堤下の淀みをミノーで探る彼でしたが、残念ながらチェイスはなし。しばらく人が入った形跡のない場所だったので、ここでもし出たら大物間違いなしという雰囲気だったんだけど…思ったような展開とはならないのが釣りの現実でもあります。
難儀しながら脱渓し、堰堤を巻こうと思ったけれど、これという入渓点が見つかりません。地元の人に尋ねてもあやふやな答えしか返ってこない…。折しも、強烈な日差しが降り注いできて、急な山道を上るごとに汗が吹き出してきます。ううむ、どうしよう。川までのアプローチを誤ると、先のサバイバル訓練のような藪漕ぎを強いられるかもしれないなぁ。
いたずらに時間をロスするのももったいないので見切りをつけ、クルマで一気に上流に向かうことにしました。渓の風景に似つかわしくない重機が置かれた工事現場をやり過ごしてしばし進み、ちょうどよさげな路肩スペースが見つかったのでクルマを停めました。そこに残されたタイヤ跡といい、そこから川へと続く土手の足跡といい、先行者が一通り楽しんで帰ったことを物語っていましたが、もはや他の選択肢を考える時間など残されていません。
渓相は申し分のないものでした。水に濁りはなく、底が砂で覆われていることもありません。これでこそ日川の流れと言いたいものの、周囲にはおびただしい足跡が。きっと朝から、何人もの釣り人が通り過ぎたのでしょう。互いに先を譲りながら竿を出してみたけれど…兵どもが夢の跡? …生命感を全く感じられぬまま虚しいキャストばかりが続きます。
つるべ落としという形容そのままに、辺りが急速に暗くなったのを感じて腕時計に目をやると17時。「上りますか?」「上りましょう!」──。言葉にしたのか、アイコンタクトだったのかは覚えていないけれど、どちらからともなくフックキーパーにフライ/ルアーを引っ掛けてラインをリールに巻き取り、納竿宣言となりました。
ガイド役としては不甲斐ない結果となってしまったけれど、人ができた彼は「爽やかな秋晴れの日に、初めての川を下から上まで巡ることができて楽しかったですよ」と屈託ない笑顔。泊まり組の3人に別れを告げて帰る道すがら、車中での会話は、次回リベンジに向けた釣行プランで持ち切りとなりました。偶然の巡り会いから人が繫がり、渓魚と出会うための川地図も繋がっていく…。それもまた釣りの愉しみなのでありました。