いくらアクセルを踏み込んでも、前輪が砂埃を舞い上げて空転するだけ。周囲に虚しい音が響き渡ります。どうやら完全にスタックしてしまったらしい──。
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都留方面に釣りに出かけた日。午前の大沢を後にして、クルマで次なるポイントを探していた時のことです。鹿留川の下流域をウロウロしているうちに、集落に掛かる細い橋を渡り、川沿いの道へとたどり着きました。
道路脇にクルマ2台が収まっているスペースがあったので、その近くの路肩に停車。まずは、渓相を伺います。広くフラットな流れで、攻め所が絞り切れない感じです。でも、見かけた2台も釣り人のものと思われたので、悪くないのかもしれません。
そうそう、我々は食事も済ませていないのでした。調理道具を広げられる場所も見つけないとね…。ってな目線で今一度見直すと、先の駐車スペースにはもう1台分の余裕があって、しかも、だだっ広い河原にクルマで直接下りられそうなタイヤ跡がその先の下り坂に続いているじゃないですか。
とりあえず、ここにしますか…一同納得。バックギアに入れて、その場所を目指します。道路に対して90度、我々のクルマを含めて、3台がピッタリと整列。さらに私は欲を出し、ややカーブする曖昧な下り道を、河原目指してソロリソロリと後退させていきました。
ん? 思った進路とずれてるかな。灌木が左ドアサイドに迫り、慌ててブレーキ。体勢を立て直そうと、ちょっとした勾配を前進しようとした所でタイヤがグリップしない事態が発生。いとも簡単にというか、決定的な失態行為なしにというか、気がついてみれば冒頭のスタックシーンとなったのでありました。ジーザスとヒレピン子が懸命に押してくれましたが、埒が明きません。
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自力脱出が不可能となれば、どなたかにヘルプを要請するしかありません。幸い、ここは人里なので、何とかなるでしょう。自分で言うのも何ですが、見ず知らずの方にお力添えをお願いするのは苦じゃないというか、得意な方であります。随分と前、釣行時にバッテリーが逝ってしまったことがあり、朝昼晩、のべ3人に助けを借りた記憶が脳裏に蘇りました。
道沿いを50mほど行くと、畑仕事をしている老夫婦を発見。事情を話すと、通りを隔てた方向を指さして「そこらの家々は気のいい人ばかりだから頼んでみぃ」とのアドバイスです。
何棟かの住宅がこじんまりとまとまった一角。その内の一軒の庭先にジムニーが停まっていました。ここだ!と直感しました。過日、関東甲信越を大雪が襲った際に、ネットで話題になった、こんな画像を見ていたことも大きく影響したようです。
呼び鈴に応じてくれた奥様に、かくかくしかじかとお話すると、やがて奥からご主人が登場。「今行っけど、牽引ロープがねえなぁ」と呟きながら玄関口に出てきた矢先、これまた運良く、土木系のお仕事をしていると思しきお隣さんが顔を出し「うちのロープ持ってきな」と手渡してくれました。できすぎな展開。
急ぎ、クルマのある場所へ。フロント下のフックにロープを結び、もう一端を駆け付けてくれたジムニーの後部フックに括り付けます。準備完了。ローギアでゆっくりとジムニーが進むにつれ、2台をつなぐロープがピンと張りました。そのタイミングに合わせて、こちらもアクセルに添えた右足をちょっと踏み込んでみます。
ズズ、ズズズズズ…。引っ張られる力と、グリップを取り戻した前輪の力が重なり、何とか窮地を脱することに成功しました。ジムニーグレート! おじさん、ありがとう! 無意識の内にこわばっていた全身から、力が抜けていくのが分かりました。
まずは恩人にお礼を述べ、ロープを取り外すことに。あれ、後先考えずに施した「もやい結び」の目が一連の出来事で締め込まれ、簡単には解けません。車内にLEATHERMANの初代PSTがあることを思い出し、そのプライヤー部でこじることで、どうにかこうにか緩めることができました。これ、もう25年以上も前に入手したツールですが、何かと役立つ優れモノです。
礼には及ばんという佇まいで何事もなかったように立ち去ろうとする救世主。せめてもの気持ちとしてクーラーボックスにあった350mlの缶飲料を3本手渡して、お別れしました。次回、この地に来る時には、付け届けと共にあらためてご挨拶に参ります!
──いやはや、軽い気持ちがアクシデントへと発展してしまいました。それにしても、いつも心温かい方々に救われます。その午前、行き場を失った黒ウサギを野に返したことが、別の形で我が身に返ってきたのだろうか。圧倒的に助けられる場面が多い私ですが、日頃からしっかりと意識して、世の中への恩返しを心がけたいと思います。